6年生の道徳は「6千人の命のビザ ~杉浦千畝(ちうね)~」です。
1940年,リトアニアの日本領事館で領事代理をしていた杉浦千畝さん。ある日,領事館の外が騒がしくなっています。200人をこえるポーランドから逃げてきた人で,お願いがあるとのこと。そこで,杉浦さんは代表5人と面会します。みんなはポーランドに住んでいたユダヤ人でした。ナチスドイツに迫害され続けてきたユダヤ人の集団は,杉浦さんに日本を通過して他国に逃げるため,日本通過のビザを発行してほしいと頼むのでした。
このユダヤ人たちは,ほおっておけば,この後殺されてしまうにちがいない。しかし,日本のルールで,こんなにたくさんの人のビザは発行できないきまりがあり,そもそも日本の命令に背くことになる。背けば日本のために働くこともできぬ,「どうしたらよいのだろう・・・,ビザを出してあげたいが・・・,日本の命令に背くこともできない・・・時間もない・・・」と考え,悩み,苦しむ杉浦さん。
杉浦さんは決断し,妻の幸子さんに「ビザを発行しようと思う。彼らを見捨てるわけにはいかないんだ。人として,人間として大事なことがある。命令に背くことになるので,仕事をやめることになるかもしれない・・・」と告げます。妻の幸子さんは「きっとそうなさると思ってました。わたしが信じた人ですから・・・」というのでした。
この杉浦さんの考え,生き方ともいえるかな,杉浦さんの行動について,みんなで話し合います。
お友達「助けたいという気持ちはわかるけど・・・,あまりにもそれに対する犠牲が大きすぎるのでは」
お友達「命より大事なものはないとは思う。けど・・・」
みんなが杉浦さんの立場であったらどうしたかな?
お友達「助けたい,その気持ちはあるけれど・・・う~ん・・・」
そうだね,悩むね。考えさせられるね。
ビザを出すと決めた杉浦さんは朝から晩までビザを書きました。退去命令が出て領事館を去らねばならない最後の日,汽車がホームを離れるまでビザを書き続けた杉浦さん。「みなさんのご無事を祈っています」という杉浦さんに「わたしたちはミスタースギウラを忘れません」と手を振るのでした。
杉浦さんが書いたビザは2,000枚をこえます。一家族1枚でよいので,合計6千人以上を助けたことになるのです。
横江Tはこの授業の前に杉浦千畝さんに関する,映画やドラマを見まくり,本もたくさん読んだそうです。その中で,杉浦千畝さんが決断にいたったときの言葉を見つけたそうです。「私はついに人道主義,博愛精神第一という結論を得た」だそうです。
「人道主義」「博愛精神」,どんな意味なのか,ご家族で一緒に調べてみませんか。
私たち人類が,忘れている,忘れかけている大事なことなのかもしれません。